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この人をインタビュー>第8回

ハワイアンミュージックはこの人を抜いては語れない!スラックキーギターマスターの「シリル・パヒヌイ」をインタビューしました。

シリル・パヒヌイ

コンテンポラリーではなく、伝統的なハワイアンミュージックを伝えようとそのスタイルを変えることなく活動する「シリル・パヒヌイ」さん。彼の父親「ギャビー・パヒヌイ」はスラックキーギターの第一人者でした。シリルさんの声はお父さんに似ており、聴いている人の心を打ちます。今回は彼が名付け親だというレストラン「カニカピラグリル」で、大変貴重なお話をうかがいました。

******** インタビュー ********


プーコ:出身は?

シリル:イーストショアのワイマナロ。現在はワイパフ。

プーコ:お父さんのギャビーさんからギターを習ったそうですが。


シリル・パヒヌイ
シリル・パヒヌイ

シリル:初めてギターを弾き始めたのは8~9才。父は一つ一つ教えてくれるわけでもなく、僕はただただじっと聴いて、見て覚えていったんだ。自然に身につけたんだと思う。

プーコ:お父さんが伝説のスラックキーギターリストのため、プレッシャーを感じたことはありますか?

シリル:ない。父はスラックキーギターも、スチールギターも、また歌うことも、いろいろできる多才な人でした。とくにプレッシャーを感じることはない。ただ父のやってきたことを伝えて行くのみ。

プーコ:初めてカーネギーホールで演奏した際、どんな気持ちでしたか?

シリル:父はこのときすでに他界していたんだけど、歌っているとき、父がそばにいるのを感じたんだ。彼のスピリットはそこにいたんだと思う。

シリル・パヒヌイ
毎週水曜日にカニカピラグリルでシリルのライブを聴ける

プーコ:世界でハワイアンミュージックの認知度はどんな感じですか?

シリル:ハワイアンミュージックは世界各国で愛されており、これまでドイツ、スイス、フランス、ベルギー、アメリカ東海岸、西海岸、日本などいろいろツアーをしてきた。アンティー・ジェノワもそうだったけど、僕もこのまま伝統的なハワイアンミュージックにこだわって行くよ。そして今回、アウトリガーリーフ・オンザビーチにできた新しいレストラン「カニカピラ・グリル」。この名前は私が付けたんだ。”カニカピラ”とは、"Let's play music"(音楽を奏でよう)という意味。レストランでは毎晩アーチストが演奏しているんだよ。

僕は本当にハワイアンミュージックが大好きなんだ。ハワイアンミュージックは僕の文化そのもの。フィリピン、日本などの曲も好きだけど、やはりハワイアンが大半を占める。ハワイに来る人たちはみんな、ハワイアンミュージックを聴きに来るんだ。レゲエでもなく、ジャワイアンでもなく、本当のハワイアンを。日本でのフラがそう。みんなハワイ語を勉強し、わかろうとしている。たとえ言葉がわからないとしても、ハワイアンミュージックはスピリチュアルに心に響いて来るんだ。心を動かす、”マナ”だね。

だから、自分のやっていることをありがたく思っているよ。スラックキーギターを教えること。以前は他人に教えるものではなかったんだけど、今はもう秘密にしない。1969年にベトナム戦争に行き、71年に帰国。僕の世代はハワイ語を話してはいけなかったんだ。ハワイ王朝が奪われてからハワイ語は禁止されていたからだ。しかし、今の若い世代は学校で習えるんだよ。だから話せるんだ。

シリル・パヒヌイ
ライブの前には必ず来ている人たちに話しかけるシリル

プーコ:現在はどこでスラックキーギターを教えていますか?

シリル:父親が住んでいたワイマナロで月に一回。またビショップ博物館でも月に1回教えている。日本の方もぜひご参加ください。

プーコ:初めて日本に行ったときは、どこに行きましたか?

シリル:お台場。マカハサンズ、アンティー・ジェノワ、レイ・フォンセカ、ジョージ・ナオペたちと一緒に行った。日本が大好きだ。日本の文化はある意味、ハワイの文化と似ていると思う。そして日本ではフラが大変人気がある。

僕には6人の娘、そして17人の孫がいるんだ。誰一人、私の後を次ぐ者はいない。そして有名なクムフラも知っているので、フラを習うならチャンスがあるんだけど、誰もやっていない。だけど私は強制するつもりはない。なぜなら、私の父も私にギターを習うことを強制しなかったからなんだ。私はいつも「父みたいになりたい」と思って、自分自ら率先して父を見て勉強したんだよ。

僕の父は、苦労した人生を送ったんだよ。昔は音楽をやるということは、夜の仕事だったんだ。1週間、2週間お父さんに会えなかったことはよくあったよ。あのころ音楽で生活するということは、大変なことだった。お金にならない。今は違う。音楽で生活できるから。

プーコ:社会・文化が大きく変わってきました。今世界的に、ハワイの文化が浸透いる気がします。

シリル:これまで7年間テネシー州のナシュビルに行って演奏しているが、毎日アロハシャツを着るんだ。それも毎日違ったアロハシャツを。で、この7年でナシュビルでアロハシャツが浸透したのか、今ではみんながアロハシャツを着るようになっているんだよ(笑)。”アロハ”をシェアするとともに、同じものを着たいというようになるんだね。僕はいままでの人生で犠牲を払って来たけど、それが報われた気がする。今では人生を謳歌しているよ。僕がハワイアンミュージックを演奏することで、みんなが幸せな気持ちになれるから。家族や友達と同じようにみんなに接する。今もそうだ。君たちもオハナだよ。みんなそうなるべきなんだ。

シリル・パヒヌイのCD

初めてプロとしてデビューしたのが1967年。"Meet Palani Vaughan And The Sunday Manoa"アルバム。当時僕は17才。その後自分のバンド「サンドイッチ・アイル・バンド」を結成。そして兵役から帰って来てからは「ピーター・ムーンバンド」、「ギャビーバンド」でプレイしたんだ。

実は、ピータームーンの息子と現在は一緒に演奏しているんだ。いつも一緒だよ(笑)。僕の生徒でもある。

僕は常に、僕の演奏を聴きに来る人たちと話すようにしている。ミュージシャンの中には、ただ来て演奏して帰るという人もいるが僕は違う。アメリカ本土やまた世界各国からハワイに来る人たちは、みんなお金をせっせと貯めてバケーションに来るんだ。そしてコミュニケーションをとることで、この人たちはまた帰って来てくれる。そうでなければならない。

プーコ:それが”アロハ”ですよね。

シリル:そう(笑)。僕は昔から家の鍵を閉めたことがないんだ。今でも閉めないよ。ギターを盗まれたことがあったけど、すぐに返しに来た。誰の家だか分かったからだ(笑)。「しまった〜」と思ったんだろうね(笑)。


プーコ:今の若い世代のミュージシャンについてどう思いますか?

シリル:今の若いミュージシャンたちはみんな、カメハメハスクール出身。だからハワイ語を話せるし、曲も歌える。しかし僕が思うに、自分たちオリジナルの曲を作るべきだと思う。ハワイ語が話せるんだから、ハワイ語で。そしてレゲエとかジャワイアンではなく、本当のハワイアンミュージックに固執するべきだと思う。

僕はこれからも変わらない。シリル・パヒヌイは一人だけ、ギャビー・パヒヌイも一人だけ。そしてギャビーは私の父親。その父親が残したレガシー(遺産)を継承していくのが僕の役目。ハワイの文化を敬い、このまま伝統的ハワイアンミュージックを続けて行くよ。

プーコ:最後に日本のプーコファン、ハワイアンミュージックファンの方にメッセージをお願いします。

みなさん、シリル・パヒヌイのインタビュー、いかがだったでしょうか?彼の話を聞いているうちに、心が動き、ぐっとくるものがありました。彼と彼の演奏にはやはり、聴いている人の心を打つマナを持っている気がします。

シリル・パヒヌイのホームページ:www.cyrilpahinui.com/

プーコ

日本の方で、シリル・パヒヌイにスラックキーギターを習ってみたい方、プーコまでメールでご連絡ください。

 

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